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2022/11/20「芝浦工業大学開学の地」記念碑をみてきました
2022.11.20
1970年工経卒 佐々木健兒
旧芝浦キャンパス(東京都港区芝浦3-9-14)エントランス左の桜の木の元に「芝浦工業大学開学の地」の記念碑が設置されていると聞き、この記念碑を見て来ました。
バレー部のOBで同じ年代の数名とその家族や友人を含め、毎月御殿場(足利森林カントリー倶楽部)で富士山を見ながらゴルフをやっており、私も年に2回位参加しています。
今回は、ゴルフ前日の10月20日に旧芝浦キャンパスに寄ってきました。
記念碑のところは工事中で、柵がしてあり近寄ることができない状態でしたが、せっかく広島から来たのにと思い、工事の警備をしている人にお願いして、柵の中に入れさせてもらい記念碑の写真を撮りました。
この碑には開学の略歴とともに当時の写真も記されています。
右側の記念碑の写真をクリックすると拡大され、見ることができます。
〔2日目〕
足柄森林カントリークラブで富士山を見ながらゴルフをしました。
朝は。少し曇って富士山が見えなかったのですが、昼からは晴れて、きれいな富士山を見ることができました。
富士山を背景に集合写真を撮ったつもりが、霧が出て富士山は隠れてしまいました。しかし、昼からな倍返しのようなきれいな富士山を見ながらゴルフをすることができました。
〔3日目〕
3日目は、池袋サンシャイン水族館に行った後、食事会をして解散をしました。
後期高齢者の集まりの食事会では、健康保険から後期高齢者医療保険に切り替わり、自己負担が増えたなど、そんな話ばかりで盛り上がりました。
(池袋サンシャイン水族館)
大都会のビルの中で、通常の水族館とそん色のない大規模な水族館でした。
その中で、最も目を引いたのが、きれいな蛙でした。(毒ガエルです)
2022/10/26 橋本さん本校3人目の箱根駅伝出場!
2022.10.26
1970年工経卒 佐々木健兒
10月15日に開催された第99回東京箱根間往復大学駅伝競走予選会の結果橋本 章央(はしもと あきお 環境システム学科3年)さんが全体の36位に入り関東学生連合チーム入りが決定しました
本戦出場が決まれば、矢沢健太選手、松川雅虎選手に続いて3人目の快挙となります。
何区を走るのかは未定ですが、1月には応援しましょう!
■関東学生連合チームの選手一覧
順位 氏 名 学年 大学名 予選会順位 予選会記録
1 新田 颯 4 育英大学 33 1:03:28
2 ⾧谷川 瑠 2 流通経済大学 34 1:03:32
3 橋本 章央 3 芝浦工業大学 36 1:03:37
4 工藤 大和 2 麗澤大学 37 1:03:47
5 山田 拓人 4 拓殖大学 44 1:03:54
6 皆川 和範 3 筑波大学 63 1:04:10
7 川田 啓仁 4 中央学院大学 74 1:04:26
8 内野 李彗 3 関東学院大学 77 1:04:27
9 波多江隆人 2 日本薬科大学 83 1:04:29
10 佐藤 碧 2 平成国際大学 84 1:04:30
11 貝川 裕亮 4 慶應義塾大学 85 1:04:31
12 榎本 晃大 2 明治学院大学 94 1:04:40
13 古川 大晃 D2 東京大学大学院 100 1:04:42
14 稲葉 勇介 2 桜美林大学 107 1:04:44
15 西村 翔太 3 日本大学 110 1:04:45
16 吉岡 竜希 4 亜細亜大学 115 1:04:50
〔関連ニュース〕※芝浦工業大学駅伝部HPより
2022.10.24 第99回箱根駅伝 橋本 章央さんが関東学生連合チームに選ばれました →
こちら
2022.10.15 第99回箱根駅伝予選会 過去最高の20位へ大躍進 橋本さん36位、内山さん52位 →
こちら
2022/10/07 第41回定期総会懇親会の出席者数中間報告
2022.10.07
工経1970卒 佐々木健兒
「第41回 定期総会・40th記念事業・懇親会」の10月6日時点の出席状況中間報告をします。
今年は、コロナ感染の不安にもかかわらず、10月26日時点で会員50名の出席の連絡を受けています。
ご来賓を含めると55名となっています。
昨年の出席者は、33名でしたが、大幅に増加しています。
まだ出欠未回答の方は
10月20日までに返信ハガキの投函をお願い致します。
なお、「欠席」とご回答した方でも
「出席」への変更は喜んでお受けしますので事務局佐々木(090-4106-7080)までご連絡ください。
今年度は、40th記念事業として、本校出身で元西武ライオンズ監督の伊原浩紀様の記念講演を予定しています。
伊原様は、上下中学校から広島県北川工業高等学校(現:広島県立府中東高等学校)に進み、卒業後は芝浦工業大学へ進学されています。
芝浦工業大学では、当広島支部会員で元広島カープの道原裕幸さんとで東都大学野球リーグにおいて3度目の優勝に貢献されました。
卒業後はドラフトで西鉄ライオンズに入団し、初年度の1971年から控え三塁手として一軍に定着、一方で二軍のジュニアオールスターゲームにも選出されています。
現役引退、一軍守備・走塁コーチ等を務め、監督へ就任し、2002年には、90勝を挙げて4年ぶりのリーグ優勝に導かれています。
2022/10/07 カープ新監督に新井!黒田コーチありか?
2022.10.07
工経1970卒 佐々木健兒
広島東洋カープの新監督に、球団OBの新井貴浩氏(45)が就任することになりました。
カープファンに人気のある新井氏は、2005年に本塁打王に輝くなど当時の広島の顔でしたが、07年オフにFA権を行使して阪神に移籍しました。ファンからそっぽを向かれ古巣の球場で打席に立つと、大ブーイングを浴びた時期もありました。
しかし、本人のカープ愛は失われておらず14年オフに自由契約を申し入れてカープに復帰しました。25年ぶりのリーグVを決めた16年には通算2000安打を達成し、MVPを受賞。再び広島の顔となりました。
新井氏の尊敬する人の一人として、黒田博樹氏がいます。
カープへ復帰することへの不安を抱えていた時、黒田氏へ相談して、黒田氏からの後押しにより復帰を決めたようです。
本気度は?ですが、黒田氏が新井氏に「お前が監督なら、コーチをやってもよい」と言っていたように思います。
新井監督、黒田コーチになれば黄金の首脳陣となり、試合の勝ち負けに関係なく観客数は増加すると思います。
私もせっせと球場に足を運びます。
新井監督、黒田コーチを願っているフアンの一人です。
〔2016年のリーグ優勝の際に、黒田氏と抱き合う新井氏〕
2022/09/21 「広島支部創設40周年」へのお祝いのお言葉
2022.09.21
建築学科1974卒 川本勝一
竹林清様(機械工学第Ⅱ学科1965年卒、元デルタ工業株式会社副社長)から、第41回定期総会・支部創設40周年記念事業・懇親会開催に対し、お祝いのお言葉(下記)を頂きましたのでご紹介します。
〔お祝いのお言葉〕
広島支部創設40周年おめでとうございます。
一生のうち様々な人々と色々な形での出会いがありますが、たまたま同じ学窓で学んだという・・・「偶然」は貴重なものだと思います。
その意味で校友会活動は、クラス会・同期会の平面の絆だけではなく先輩・後輩という立体的な絆で偶然の輪を広げるものと考えます。
また「母校」には格別な愛着があるもので、その永続・発展には常に関心があり、故郷と似たような郷愁を覚えます。
このような意義をもつ校友会活動に自分が貢献できないことに後ろめたさを覚えますし、同時に本部はもとより支部の運営のためにお世話いただいている役員の皆さんに心から尊敬と感謝を申し上げます。
私こと体力的に、総会・懇親会などへの参加は叶いませんが、貴支部の発展と、会員各位のご健勝をお祈りし、陰ながら応援しています。
竹林 清
2022/08/07 立山本峰(雄山、大汝山、富士ノ折立)縦走!
2022.08.07
建築学科1974卒 川本勝一
2022年7月26日~7月28日の2泊3日で、立山本峰(雄山3.003m、大汝山3.015m、富士ノ折立2.999m)と別山2.874mを縦走してきました。
初日は、新穂高第2ロープウェイ隣接駐車場に自動車を止め、ロープウエイ「しらかば平駅」から「西穂高口駅」まで標高差848mを7分で運んでもらいました。
翌日からの立山縦走に備え、徒歩約90分先にある西穂山荘(2.367m)の名物‟しょうゆラーメン”(¥1.000)〔写真B〕を食べて、引き返しました。
翌日に立山本峰、3日目に別山を縦走しました。
詳細については、以下をご覧ください。
2022/07/13 富士山登山してきました!
2022.07.11
工経学科1970卒 佐々木健兒
2002年7月10日富士山に行きました。
富士山登山と参議院選挙が重なったため、期日前投票を済ませて、出発しました。
はじめての登山であり、富士山登山ツアーに申し込み、持って行く荷物を少なくするため、ザックや登山靴などレンタルしました。
2002年7月10日12時10分にまず羽田に集合、そこから山道具のレンタル店により、レンタル品を受け取り、吉田ルート・富士スバルライン五合目の「五合園レストハウス」で着替えて、17時から登山開始しました。
このツアーで一緒に行動したのは、福岡から来たという女性グループ5名、東京からの男性3名のグループ、途中から別行動をとるという男性1名、それに私の合計10名で、ガイドさんが2名つきました。
そして、年齢は私が一番多いため、ガイドさんの後につき、続いて女性グループがついて登りました。
7号目の山小屋で、夕食を取り、少し仮眠をして22時30分に頂上に向けて出発しました。
ガイドさんから呼吸は「ハア」と吐き出すのではなく「フウーと大きく吐き出してください!」と何度も言われながら登りました。
日頃のトレーニングの成果もあり、9号目までは、そんなにきつくはありませんでした。
ただ、8号目を過ぎたあたりから、きつくはないのに、軽い吐き気をもよおしました。これが高山病かなと思いながら、大きく深呼吸をしながら登りました。
最後の急勾配の9合目から頂上までは、さすがに「はーはー」言いながら登りました。
ただ、それ以上に足が弱っているのか、フラフラになっていてよろけながら登っていました。
何回か転げることもありました。
そして、頂上に到着、「やっと登ったな!」という感じはありましたが、鈍感な私には、感動という感じはありませんでした。
御来光を見るため、ヘッドランプを付けての真っ暗の中を登る登山は、なんとも味気ない登山でした。
次回からは、明るいときに写真を撮りながら、楽しみながら登れる富士山登山に切り替えたいと思います。
〔5報目まで運んでくれたバス〕 〔五合園レストハウス〕
〔登山途中で〕 〔御来光を背景に!〕
2022/07/07 蔵王山(福山市)登山1,000回達成までもう少し!
2022.07.07
建築学科1974卒 川本勝一
蔵王山(H225.5m)は福山市の中心部にあって、多くのコースが整備されています。
平野部からいきなり急登があったりで登山練習コースとしても親しまれ、大小色んなバックを担いだ登山家も見かけます。
私もご多聞に漏れず、32ℓバックに2㍑ペットボトル満水2本を詰め総重量8㌔を担ぎ、三つの小山を登り下りするコース総距離9.3㎞、累積標高差430mを
選択しております。余程の用事が無い限り、自宅をAM8:00スタートし歩行時間1時間50分を日課としています。
この里山登山は単独ですが、道中での民家の方、山で出逢う多くの山男・山女(やまじよ)から声をかけて頂き、元気を頂いております。反対に出逢いたくないのは“イノシシ”ですが、頻繁に出没し山の仲間として歓迎してくれます。
さて、私の<蔵王山登山履歴>は 2017年11月に始まり、2022年6月までに876回を数えます。直近2020年1月から月平均約19回ですから、1,000回は2023年1月に達成予定です。ちなみに2018年4月から5月の履歴“0”は「四国巡礼」で蔵王山よりも厳しい遍路道を旅しました。
それと、2021年1月からの<月別登山歩数>をご高覧下さい。
蔵王山登山は1日1回当たり約12,500歩ですが、蔵王山以外の登山歩数もこのデータに含まれていますので、その主な山行実績を紹介いたします。
<2021年>
3月:別所砂留H334m(広島県福山市)
4月:毛無山H1,218m(岡山県)
5月:船通山H1,142m(島根県)
6月:道後山H1,268m(広島県)
7月:大山H1,709m(鳥取県)
9月:三徳山(鳥取県)
10月:極楽寺山H692m(広島県廿日市市)
11月:宮島弥山H535m(広島県廿日市市)
12月:女三瓶山H957m(島根県)
<2022年>
4月:平家山H382m(広島県忠海)
5月:古鷹山・クマン岳400m(広島県江田島)
同 :九重連山・久住山H1,787m(大分県)
6月:男三瓶山H1,126m(島根県)
同 :大山・三鈷峰H1,516m(鳥取県)
7月26日~7月28日:西穂高と立山縦走予定
2022/04/17 富士山目指して里山での山登り!
2022.04.17
工営1970卒 佐々木 健兒
富士山目指して里山での山登りをしています。
私は、現在、週に2~3回、近くの里山(龍王山)に山登りしています。
単なる山登りではなくトレーニングのためと思い、ストップウォッチを持参し、所定の地点ごとの時間を図りパソコン(エクセル)に記録しています。
家に帰り、これを記録するのが楽しみの一つです。
目標を達成したり記録を更新した日は、喜びもひとしおとなります。
登り時間1時間30分、下りと休憩等1時間30分、車での往復時間30分の計3時間30分です。
家を8時30分前に出て、昼前に家に帰ります。
一番最初に龍王山に登ったのは、2020年12月6日でした。
標高575mの山ですが、公園の入り口(310m)まで車で行くため、実質265mの登山となります。
しかし、最初に登ったときは途中で何度も休憩しやっとの思いで登ることができました。
登山コースはA~Eの5コースあり、その中のBコースを登りました。
以前、校友会広島支部のハイキング登山で白木山の登山に参加したことがあるのですが、体力がなく途中ギブアップしてしまいました。
次回のハイキング登山ではギブアップしないようにとの思いから、継続して登ろうと決意しました。
当初は週1回のペースで登ろうと思っていたのですが、実質265mの山を週1回のペースで、ハイキング登山で予定されている極楽寺山(693m)を登ることができるのだろうか?心配になり、登る回数を1週間に2~3回にし、更に、3月29日からは、途中の道でDコースの途中までを降りて、再度登ることにより、標高差の合計が430mの登山としました。
また、家内の友人から慣れてきたらザックの中にペットボトルを入れるのが良いと聞き、7月からはザックの中にペットボトル2本(4kg)を入れて登るようにしました。
10月に入ってからは、DコースとBコースを登り、最後にDコースの途中まで降りそこから再度登るコースの標高差の合計が730mを登ることにしました。
その成果もあり、昨年10月23日の極楽寺山のハイキング登山はどうにか皆さんについていくことができました。
インターネットで調べてみると富士山に登るのに、ザックの中身は5キロ程度とあり、4キロの負荷では軽いかなと思い、10月25日から石焼き芋の石6kgをザックに入れ、トレーニングを開始しています。
予定しているコースは、五合目から標高差約1.450mの山頂を目指して登山をすることになっており、トレーニングしている標高差の倍となります。
そのため、富士山登山までに、何回か通常の倍のトレーニングをしようと思っています。
〔憩いの森公園〕 〔コースの中で一番きつい140段の丸太階段〕
〔秋の紅葉きれいです〕 〔正月の山頂には門松が飾ってあります〕
〔雪景色です〕 〔雪の中の山頂の標識〕
校友会広島支部備後分会「ゴルフ愛好会」を発足しました
2022.02.13
建築1974卒 川本 勝一
備後分会、県東部在住のゴルフ好き10人が今年度から定期コンペを開催する事になりました。
この10人の殆どの方は第一線から退かれて、平均年齢も約70歳と少し高めですが、80歳を過ぎてもドライバー230㍎超えの鈴木さんをはじめ強者ぞろいばかりです。このメンバーは西浦さんにご担当頂く<支部ゴルフコンペ>にも参加し、盛会に一翼を担えれば幸いです。そこで県内東西対抗戦でもやりますか!
話は変わりますが、我々にとりましてゴルフのレジェンドといえば鈴木先輩ですが、私が最近身近でご一緒した凄いシニア3人を紹介させて頂きます。
まずは、今年1/4新年杯プレー後に91歳(昭和5年生)の方と風呂場で話しました。
裸姿で、「一昨日は新市クラシック、昨日は松永カントリー、今日は福山ゴルフと3連チャンだが、家で百姓をしている事を思えばゴルフなんか楽なもんじゃ!
しかし、昨日はハーフ30台で廻れたのに今日は50台だった。もっと、もっと、練習せんと、いけんな・・・・・・」
(私より20歳も年上なのにお元気!)
続いて、1/30オープン競技で74歳(昭和22年生)の方と同伴しました。この方とは昨年、グランドシニア選手権予選でご一緒し、決勝で優勝されました。ちなみに私は6位。
寒風吹きすさぶプレー中、「川本さん、1月は何回プレーしましたか?」
「今日で4回目ですが、冬場はやはり回数が減りますね!」
「私は川本さんより、1だけ多いな!」
「寒い中、5回もよく頑張られましたね、流石グランドシニアチャンピオン!」
「5回ではなく、14回です」
「・・・・・・・・」 (この方は殆どのクラブ競技にご参加され、ベスグロの常連)
3人目、昨年10/31季節杯で85歳(昭和11生)の方と初めて同伴しました。
この方は年間220~230回プレーされ、エージーシュートも通算500回以上達成されておられます。
昼食時、「川本さんは今月グランドシニア選手権にエントリーしてたね」
「選手権の予選、決勝等で10月は8回もゴルフ場に通い、疲れました」
「まだ若いのに頑張れ!私は今日で8日間連続プレー中だ!
今日もエージーシュート達成出来たが、1.000回を目標に緊張感をもってプレーしている」
このお三方には驚きを抱え込み、笑う事すらかなわない体力と金力ですが、私は体力はさることながら金力が無いので、代わりに日々の里山登山で筋力を貯めております。
最後になりますが、今回の<ゴルフ投稿>はコロナ禍でゴルフイベントに苦慮されている西浦さんへの応援メッセージでもあります。そして、次回は<登山投稿>にて登山・ハイキング担当の隅田さんにエールを送りたいと思います。
以上
2022/02/11 高橋慶彦の父は芝浦スキー部の監督だった!
2022.02.11
建工1987卒 隅田 誠
現在、北京冬季五輪大会開催中で、スキージャンプ小林陵侑が日本人初となる金メダル獲得しましたが、昔は、芝浦工大スキー部の輝かしい時代がありました。
2月25日に発刊される芝浦工業大学の広報誌「広報芝浦」の「しばうら人」のコーナーにスキー部卒業生のインタビュー記事が掲載されるとのことです。
尚、発刊に先駆けまして、大学HPに掲載されています。→
「しばうら人 スキー部卒業生座談会」
実は、私の同級生がスキー部に入部しましたが、シーズオフはランニングばかりでつまらないのですぐに退部した覚えがあります。
私の学生の頃、体育会系はさっぱりでしたが、芝浦スキー部の監督は、元カープ選手高橋慶彦の父だったんです。
高橋慶彦は、スイッチヒッターとして打率3割を5度、20本塁打以上を4度記録し、33試合連続安打という日本記録まで樹立し、誰もが知っている有名選手です。
お父さんの高橋慶喜さんは実業団のクロスカントリースキー選手であり、現役時代は全日本スキー選手権大会で入賞歴もある人です。
私の学生時代、高橋慶彦は当時では数少ないカープのイケメンスターでした。
球場では高橋慶彦がバッターボックスに入る度に「ヨシヒコさ~ん、ガンバッテ~」と必ず黄色い声援が響いてました。
その、高橋慶彦本人がテレビ番組のインタビューで「私の父親は芝浦工大スキー部の監督をしています。」と話していました。
そんなスーパースターのお父さんが我が芝浦のスキー部の監督を務めていることを誇らしく思っていました。
〔高橋慶彦選手の現役時代〕 〔応援する父慶喜さん〕
〔スキーにはまっています!〕 私自身、5歳からスキーを始めましたが学生時代までは、うまくもなかったので東京にいる時は一度もスキーに行くことはありませんでした。(帰広した時は行ってましたが、信州に近かったのに行かなかったことを後悔しています。)
しかし、社会人になりスキーブームになるとすっかりはまってしまい、ニセコや白馬へも行くようになりました。
年を経て同僚たちはほとんどスキーを辞めてしまいましたが、私は相変わらず一人でスキーに行っております。
今日も日帰りで大山へ行ってまいりました。
好天にも恵まれ大山山頂、弓ヶ浜、中海を見渡すことできました。
普段は恐羅漢に行くことが多いですが、近くに温泉もある大山は最高です!
今、学生でしたら迷わずスキー部に入部していたかもしれません。
〔大山へ行ってきました〕
2021/12/18 ハードな2泊3日の旅行をしてきました!
2021.12.18
工経1970卒 佐々木健兒
2021/12/13に、バレー部OB仲間の御殿場(足利森林カントリー倶楽部)でのゴルフに行きました。
今回はちょっとハードスケジュールで、前日に高尾山に登り、翌日は横浜で北朝鮮の工作船の展示や、帆船日本丸を見学した後、食事会をして帰りました。
2021/12/12 広島空港7時50分発、羽田9時10分着のANA672便で東京に行きました。
〔飛行機から見た富士山〕
羽田から、そのまま、京浜急行とJRを乗り継ぎながら高尾山口迄直行しました。
高尾山口にて重いものはコインロッカーに入れ登山開始です。
〔案内板〕 〔ケーブルカー乗り場〕
ケーブルカーには乗らず、そのまま稲荷山コースで頂上を目指して登山開始です。
前回までの高尾山登山では、「ぜーぜー」言いながらやっと登っていましたが、今回は、近くの山でのトレーニングの成果があり、結構楽に登れました。
〔最後の頂上までの案内標識〕 〔200段以上ある階段〕
ただ、最後の頂上までの、200段以上ある階段は堪えました。
頂上に行くと、沢山の登山客がいます。
〔頂上の模様〕 〔頂上の標識〕
〔頂上から富士さんがかすかに見えました〕
〔2日目〕は土田君に東神奈川駅で拾ってもらい、途中で富士山を見ながら、御殿場(足柄カントリー倶楽部)へ直行
〔車の前面に見える富士山〕
ゴルフは、芝浦OBとその家族や友人など12名で行いました。
日本晴れで、富士山が良く見え、最高のゴルフ日和でした。
〔プレーをしながら見える富士山〕 〔夕焼けの富士山もきれいでした〕
〔3日目〕は桜木町ロープウェイ駅に集合しました。
人数は、ゴルフ参加者5名、その他3名の8名となりました。
そして、日本初、世界最先端の都市型循環式ロープウェイYOKOHAMA AIR CABINの乗りました。
3日目は2日目とは打って変わり、雨が降り寒い1日でした。
まず、横浜の海上保安資料館に行きました。
海上保安資料館には北朝鮮の工作船が一般公開されていました。
〔海上保安資料館〕 〔工作船〕
北朝鮮の工作船は2001年12月22日、海上保安庁が九州南西海域航行する不審船情報を入手し、巡視船と航空機で追尾し、停船命令を出しましたがこれを無視して逃走を続け、巡視船の威嚇射撃に対しては自動小銃やロケットランチャーで反撃した後、自爆沈没しました。
この北朝鮮工作船は2002年9月11日に船体が引き上げられ、2003年5月17日から鹿児島で一般公開され、その後、東京お台場の船の科学館で一般公開され、2004年12月10日から横浜の海上保安資料館横浜館で一般公開されています。
工作船の見学が終わった後、ロープウェイで桜木町ロープウェイ駅に戻り、「帆船日本丸・横浜みなと博物館(柳原良平アートミュージアム)」で、「太平洋の白鳥」とも呼ばれた帆船日本丸の伝統ある船内を見学しました。
〔帆船日本丸〕
最後に、食事会を行い、わいわいがやがやした後、桜木町駅で解散しました。
2021/12/10 奥多摩に行ってきました!
2021.12.10
工経1970卒 佐々木健兒
実は、気が引けて投稿できなかった記事で、2021/12/10は投稿日です。!
実際に奥多摩に行ったのは、2021年7月21日です。
バレー部のOBで同じ年代の数名とその家族や友人を含め、毎月御殿場(足利森林カントリー倶楽部)で富士山を見ながらゴルフをしています。
私も年に2回位参加しています。今年はコロナの影響で参加を見合わせていましたが、私のワクチン接種の2回目が6月21日で終わる事、ワクチン接種も進み、7月頃は新規感染者数が底になると予想したため、7月19日のゴルフに参加することにしました。
ところが、7月に入ると感染が拡大し、家内からも「行ってもえんねー」と言われ、後ろめたさを感じながら出発しました。
ゴルフは、同期の土田君に毎回東神奈川で拾ってもらい、ゴルフ場まで連れて行ってもらっています。
そして、翌日は手戸君が同級生等に声をかけ奥多摩をセットしてくれました。
人数は私を含めて5名でしたが、数年ぶりに会い楽しい1日を過ごすことができました。
全員、歳をとっているため前回会った顔と変わりません。私が髪を染めるのをやめたため、白髪になり一番変わりました。
なお、アルコールが禁止のため、飲み会のような「わいわいがやがや」はなく、静かな食事会で終わりました。
また、機会があれば行きたいと思っています。
〔前日のゴルフメンバー〕 〔ゴルフ場からの雪のない富士山〕
〔秩父奥多摩甲斐国立公園の案内板〕 〔公園内にある川〕
〔庭園〕 〔静かな会食〕
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