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2025/01/03 残念、エントリー変更で出場できず!
2025.01.03
工業経営学科1970卒 佐々木健兒
本学、駅伝部宮本さんが関東学生連合チームの復路9区にエントリーされましたが、1月3日にエントリー変更され、念願の箱根駅伝に出場することができなくなりました。
誠に残念ですが、宮本さんはまだ1年生でもあり、更に練習に励んで頂き、エントリーされるよう頑張って頂きたいと思います。
2024/12/29 箱根駅伝に宮本さんがエントリーされました
2024.12.28
工業経営学科1970卒 佐々木健兒
「第101回箱根駅伝」に本学駅伝部宮本さんが関東学生連合チームの復路9区にエントリーされました。
12月29日、関東学生陸上競技連盟より、新年1月2日、3日に開催される「第101回東京箱根間往復大学駅伝競走(略称:箱根駅伝)」の区間エントリー走者が発表されました。
芝浦工業大学から関東学生連合チームに選出されている駅伝部の宮本大心さん(環境システム学科1年)が、1月3日の復路9区にエントリーされましたので、是非応援お願いします。
出走予定区間では、「9区応援ポイント」に記載の応援ポイントでのぼり旗を立てて集中応援を実施します。
現地での応援にあたっては、感染症の流行によって今後区間変更等が発生する可能性もありますのでご注意ください。
区間変更については、各日のスタート前にテレビ放送等でご確認ください。
「宮本選手コメント」 「【9区版】応援パンフレット」
広島支部会員のかたは、直接応援に行くのは困難かと思いますので、テレビでの応援をお願い致します。
【放送予定】
「★SAPPORO新春スポーツスペシャル第101回箱根駅伝」
2025年1月2日(木)-3日(金)あさ7:00から日本テレビにて生中継!
番組ホームページ・TVerでも7:50ごろから無料ライブ配信!
箱根駅伝詳細は
関東学生陸上競技連盟HPをご覧ください。
2024/12/27 岡本名誉顧問逝去
2024.12.28
工業経営学科1970卒 佐々木健兒
芝浦工業大学校友会広島支部名誉顧問の岡本嘉行様(88歳)が、令和6年12月24日に逝去されました。
岡本様は、平成18年~平成25年まで、芝浦工業大学校友会広島支部の支部長としてご尽力いただき、現在は芝浦工業大学校友会の顧問に就任されていました。
12月10日に広島日赤病院に入院され、12月24日病院で息を引き取られました。
家庭では、非常に真面目で懸命に働き、我が子、孫を可愛がり成長を見守っておられたそうです。
晩年はシニア大学に通って学びを深められ、広島支部イベントの囲碁大会にもご参加いただき、何度かお相手させて頂きました。
今年88歳を迎えられましたが年賀状は未だに300通以上、手書きで出されていたそうです。
12月27日の告別式には、川本支部長と私が参列させて頂きましたが、告別式の終わりが近づき、僧侶が退席された後、故人と最期のお別れの献花の際に「芝浦工業大学校歌」が繰り返し流され、今にも岡本様の「フレー!フレー!芝浦!」エールが甦るかのようでした。
2024/10/09 南アルプス縦走!
2024.10.09
建築学科1974卒 川本勝一
2024年9月16日~9月21日にかけて、(北岳3.193m⇒間ノ岳3.190m⇒仙丈ヶ岳3.033m⇒甲斐駒ヶ岳2.967m⇒鳳凰三山:地蔵ヶ岳2.764m、観音ヶ岳2.841m、薬師ヶ岳2.780m)の南アルプスを縦走を縦走しました
2024/09/19 囲碁を始めて脳を活性化しましょう!
2024.09.16
工業経営学科1970卒 佐々木健兒
囲碁は、脳を活性化し、認知症の予防効果があることが分かりました。
囲碁は認知症予防にも、認知症を発症してしまった後にその進行を緩やかにするにも、効果があるということです。
認知機能は残念ながら一生を通じて緩やかに低下していきます。ですが脳には再生力もあって、病気や加齢によって失われてしまった部分があっても、他の場所で新たに神経をつなぎ直すことでその機能を保つこともできます。脳を使うことが大切なのは脳に刺激を与えて新たに神経をつなぎ直すため。もし刺激を与えない状態が続くと、認知機能は急降下していってしまいます。
認知症を治したり、絶対にならないようにする方法というのは今のところ発見されていません。でも、脳に刺激を与え続けることで発症を遅らせたり、進行を緩やかにすることはできます。
囲碁をすると集中力や気づくことができる力、必要な情報を頭の中で保ちながら作業する能力を向上させことができます。
囲碁にそれほどの効果がある理由として、囲碁は、序盤、中盤、終盤で異なる認知機能を使うことです。例えば布石が主な序盤では「空間把握」を必要とされますし、石同士がぶつかり合う戦いが多い中盤ではどうしたら石が取れるのかなどを「推論」する必要があります。さらに終盤、終局時にはどちらの地が大きいかを数える「計算」も入ります。いわゆる「脳トレ」では一つの要素だけになってしまいがちで、ここまで総合的に頭を使うプログラムを組むのは難しい。その点、囲碁は自然とこうしたことが各々のレベルに応じて取り入れられます。
囲碁は、
①選択肢が多く、推論する必要がある。
②大局感が求められる。
③様々な認知機能が必要
です。
囲碁には、上達に終わりがありません。今、認知症予防のためのゲームが盛んに開発されていますが、多くのゲームはクリアして終わりになります。つまり、上達に上限があります。終わりがなく、いろいろなレベルで楽しむことができ、脳に異なる種類の刺激を同時に与えられる。そういう意味で囲碁は想像以上に汎用性のある素晴らしいツールと言えます。
「囲碁で脳を活性化!飯塚医師に聞く囲碁の認知症予防効果」から抜粋しました。
広島支部イベントの一つに、囲碁があり、年4回開催しています。是非ご参加下さい!
興味のある方は、幹事の津村さん、または佐々木(090-4106-7080)にご連絡下さい。
2024/08/14 ダイヤモンドヘッドに登ってきました
2024.09.16
工業経営学科1970卒 佐々木健兒
この歳になって、初めてハワイに行きました。
旅行の名目は私の喜寿ということでしたが、旅行の間、誰からも祝いの言葉はありませんでした。
私の孫6人の内、仕事で行けなかった長男の孫を除き、5名の孫と一緒に行きました。
総数は14名と多くなったため、次男のグループ7名と我々のグループ7名に別れて行きました。
我々のグループは、8月12日~19日までの6泊8日の旅行でしたが、次男のグループは、8月9日~19日までの8泊10日の9泊12日の旅行をしました。
行きは、広島空港→羽田→リムジンバス→成田→ホノルルの経路で、帰りはその逆で帰りました。
〔8月12日〕
(成田からホノルルまでの飛行機)
〔8月13日〕
ホテルのプールにて、長男の孫が、娘の孫2人の子守
〔8月14日〕(ダイヤモンドヘッド)
(水族館)
(ダイヤモンドヘッドを眺める孫たち) (ビーチ)
〔8月15日〕(息子グループのホテルのプール)
小魚の群れです!
〔8月16日〕(サンセットクルージング)
〔8月17日〕(市内観光)
このー木なんの木!(日立の樹)
(パールハーバ)
(鶏の丸焼きフリフリチキン)
昼食に食べました。美味かったです!
〔8月18日〕
ホノルルから成田までの飛行機
到着は8月19日です!
今回は、飛行機のトラブルによる遅れが多く、次の飛行機に乗り継げるかとひやひやすることもありました。
行きの、成田での搭乗までは順調だったのですが、登場した後、滑走路に異常があると言うことで、飛び立つことができず飛行機の中で待機していました。
成田20:45発だったのですが、離陸した時刻を見ると、24:00頃でした。
帰りも、ホノルルでの搭乗までは順調だったのですが、私の通路を挟んだ右隣の座席のリクライニングが作動せず、キャリアアテンダントが整備士を呼んで修理を始めました。
整備士がきて修理を始めたのですが、なかなか治らず、いったん出て行きまた戻って修理を始めました。しかし、治らないため、そこの乗客には別のところに座ってもらい、出発しました。
飛行機が大幅に遅れたため、成田で手荷物を自宅まで送る予定にしていたのですが、間に合わないため持って帰ることにしました。
リムジンバスに乗るのも予定より遅れたため、羽田発の飛行機に間に合うだろうかと心配になってきました。
どうにか時間には間に合ったのですが、羽田発の飛行機も遅れ、1時間くらい遅れて家に着きました。
2024/07/13 3回目の富士山登ってきました
2024.07.21
工業経営学科1970卒 佐々木健兒
2024年7月12日~7月15日で3回目の富士山に登りました。
2024年7月12日、飛行機で羽田まで行き、新宿で一泊し翌日7月13日に富士登山を開始しました。
〔概要〕
1日目(2024年07月12日)
①広島空港(ANA)(12:40) → (14:10) 羽田JR
②羽田(14:30) → 品川 → 新宿 → ホテル(東横INN新宿歌舞伎町)
2日目(2024年07月13日)
①京王バス 新宿駅(06:45) → 富士スバルライン5合目(09:50)
②富士スバルライン5合目(昼食・休憩)
③富士スバルライン5合目(10:50) → 山小屋白雲荘(15:10)
3日目(2024年07月14日)
①山小屋白雲荘(04:00)(起床、御来光)
②山小屋白雲荘(04:50) → 山頂(07:10)
③お鉢巡り (07:15) → 中止(07:25)
④山頂(07:35) → 富士スバルライン5合目(10:40)
⑤富士スバルライン5合目(軽食・休憩)
⑥富士スバルライン5合目(12:30) → 新宿駅バスターミナル(15:00)
⑦新宿駅バスターミナル → (夕食) → ホテル(東横INN新宿歌舞伎町)
4日目(2024年07月15日)
①ホテル(東横INN新宿歌舞伎町) → 新宿駅 → 羽田
②羽田(ANA)(10:35) → (11:55) 広島空港
③広島空港で迎えに来ていた孫家族と昼食 → 自宅
今年も富士山の最高峰剣が峰に登り、浅間大社奥宮で70竿以上の高齢者の記帳をして帰ることが最大の目標でした。
しかし、お鉢巡りで小雨と強風に出会い、高齢者(自分)には危険と思い断念しました。
〔バスタ新宿〕 〔富士スパルライン5合目〕
バスタ新宿から京王バスで約3時間かけて富士スパルライン5合目に到着
〔2024年7月13日富士登山開始の証拠写真〕 〔乗馬体験用の馬〕
〔富士山管理センター〕 〔富士箱根伊豆国立公園の看板〕
管理センターで手続きをして登山開始
〔登山案内表示・分岐〕 〔本格的な登山開始〕
最初のこの表示まで、意識的に超スローペースで歩きました。ここを過ぎると本格的な登山開始となります。
〔落石除けシェルター〕 〔溶岩石〕
〔花小屋(最初の山小屋)〕 〔1昨年に泊まった鳥居壮〕
〔溶岩道〕 〔今年泊まる白雲荘〕
スローペースで登ってきたのに、溶岩道がきつく来年は登れるかなと思いながら、やっとのおもいで山小屋白雲荘に到着
〔山小屋からの雲海〕 〔雲から顔を出した御来光〕
翌朝は曇っており、山から出るご来光の写真は摂れませんでしたが、時々明るくなり、 雲海がきれいだったのでシャッターを押しました。雲の上に覗いたご来光も撮れました。
〔山頂に向けて出発〕 〔途中の山小屋富士山ホテル第2〕
〔山頂の鳥居〕 〔山頂〕
昨年と比べ、体力が落ちたのか相当しんどかったが、やっとのおもいで山頂に到着
お鉢巡りをして、剣が峰に登り、浅間大社で最大の目標である高齢者の記帳をしようと思い歩行開始。
山頂は曇っており、小雨と強風が舞っていましたが、まあ、大丈夫だろうと思い進んでいきました。
ところが、道幅の狭いところで、強烈な風が吹いてきたので、これ以上進物は危険を判断し、中止しました。
「風模様1」 → 「風模様2」
この、風模様はあまりひどく映っていませんが、実際はもっと強烈で強い風でした。
〔下山道標識〕 〔下山道〕
〔オンタデ〕 〔シェルター〕
きれいな花が咲いていました。後で調べると「オンダテ」という花のようです。
ここを過ぎると、「シェルター」が見えてきました。スパルラインまであと少しです。
〔こちらにもオンタデ〕 〔富士スパルライン5合目〕
「シェルター」を過ぎると、オンタデがたくさん咲いているのが見えました。
「富士スパルライン5合目」到着。
お鉢巡りをしていなかったからかもしれませんが、昨年より楽に下山できました。
2024/06/11 「大峰山脈~大台ヶ原登頂と高野山巡り」
2024.06.27
建築学科1974卒 川本勝一
2024年6月11日~6月14日で大峰山脈~大台ヶ原を縦走しました。
大峰山脈:八経ヶ岳 (奈良県1915.2m )
⇒ 大台ケ原:日出ヶ岳 (三重県1695.1m)
2024年6月27日 記:川本勝一
今回の目的は日本百名山2座「近畿の最高峰、八経ヶ岳」と「原生林が保護されている大台ケ原」登頂、
それと弘法大師の聖地「高野山」巡りです。
まずは私にとって日本百名山11座目「八経ヶ岳」、登山口から弥山までH800mの急登を2時間余りで 一気に登り、
「八経ヶ岳」から「明星ヶ岳(1894m)」登頂後は来た登山道を帰らず「レンゲ道」に入り、「日裏山(1725m)」、「高崎横手出会い(1665m)」まで下山し、また「弥山(1.895m)」を目指す周回を選択しました。
途中「弥山」周辺以外は全く登山する人と遭遇する事も無く、体力の消耗を感じながら一人旅の心細い8時間弱でした。
案の定、登山口から力強く登ってきたはずの下りでは両ひざに激痛が走りだし,最後の1時間位は悲鳴をあげながらストックを足代わりにすがりました。
自身の足を過信し、無理をしたこの度の計画を責めましたが“後の祭り”。
宿に着くなり、足を癒すためにお風呂に入ると、既に入浴されていた方と山談議で盛り上がりました。
その方は退職後、山に魅せられ3年半で日本百名山を制覇され、現在は300名山を目指されてました。
今回の「八経ヶ岳」は2回目で、連れのガイド役として登られてました。なんと同部屋のお連れはその山男よりも20歳以上若い女性でした。
山男はお元気そうで羨ましい限りですが、これも百名山で鍛えた“なせる技”かと思うと、今日の山下りで悲鳴をあげていた私が凡庸な人物に思えてきました。
寝て起きると足の痛みは無く、日本百名山12座目「日出ヶ岳」から日の出を見るために4時過ぎに起きて登頂を目指しました。
残念ながら雲がかかり、日の出も運が良ければ望める270㎞先の富士山も見る事は叶いませんでした。
気を取り直して、「東・西大台周遊コース」を7時間、15.6㎞は前日に続きタイトな山行になりました。
東大台は植生保護の為に整備された木道から原生林の倒木、樹林の景観を味わいながら、随所に前日登った大峰山脈のパロラマ展望が開けて楽しめました。
かたや西大台は屋久島と並ぶ日本を代表する原生の地。
うっそうと茂るブナ林に囲まれ展望は臨めず、小鳥のさえずりを聞きながらコケの森をひたすら歩き続けました。
昨日同様に登山中に出合う人は全くいなくて、唯一遭遇したのは西大台で「西大台利用調整地区立入認定書」を求めた環境省職員一人だけでした。
ちなみに、西大台への入山は事前申請が必要で、希少な美しい植生環境を守る為に平日30名、土日祝日50名以下の入山制限を行っております。
2日間を検証するに、大台ケ原周辺は降水量が多いいことで知られ、特に梅雨期6月~7月の登山は不適と言われてますが、天候には恵まれました。
ただ、両日とも7時間越えの単独登山は足のひざの弱点をさらけ出し、今年9月予定の5泊6日南アルプス縦走に風雲急を告げられた感がしております。
それと目的の最後「高野山」、6年前に四国八十八ケ所歩き遍路(1.154㎞、34日間)巡礼満願を果たしてから、やっとお礼参りする事が出来ました。
今回は当時の“同行二人”と書かれた白衣と金剛杖、母親の形見の輪袈裟を装備ました。
奥之院は835年に弘法大師が永遠の瞑想に入られ、現在まで1200年もの間、弘法大師に食事を届ける儀式が1日2回行われています。
姿としては見えないかもしれませんが、弘法大師は確かにそこにいて、今までもこれからも変わらない厚い信仰が息づいています。
そんな弘法大師と一緒に“同行二人”として、四国八十八ケ所歩き遍路出来た事を今さらながら感謝しております。
ところで、大台ケ原の宿で出逢った“同行二人”は無事に下山し帰られただろうか。どうでもいいけど!
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